トークイベント「歴史を描くこと ―絵画と、漫画や映像のストーリー芸術と―」

太平洋戦争終結70周年ということで、日本の戦争画再評価のちょっとしたブームが起こっています。美術界ではかつて歴史画というジャンルがありましたが、戦後はナショナリズムやオリエンタリズムの批判と、ポストモダンのアートではなぜかあまり歴史を扱わなくなった(扱い難くなった?)ことで、永らく描き手はほとんど空席状態にありました。私・小倉涌は西洋古典画法で近現代の歴史画を描くアーティストですが、ロマン派や戦争画の美術界エリートたちが「正史」を担おうとしたこと、今後美術作品で歴史をテーマにしていく可能性について話していきます。

ストーリー芸術については、ソビエト、ロシアを舞台にした作品で知られている漫画家の速水螺旋人さん、SF評でも知られる経済学者で社会学者の稲葉振一郎さん、ナショナリズムやメディア史の著書があり社会学者で社会の芸術フォーラム共同代表の北田暁大さんから、偽史ものや歴史ものの実際の制作と秀作について、現代の歴史ものは果たして正史へのカウンターとして表現されなくてはならないのか、それは何故か、といったお話をしていただきます。

===
トークイベント「歴史を描くこと ―絵画と、漫画や映像のストーリー芸術と―」
===
日時:2015年12月19日(土)15:00~18:00
場所:東京大学本郷キャンパス内(お申込みいただいた方には場所をメールでお伝えいたします)

【 お申し込み 】
以下のフォームからお申し込みください。
http://goo.gl/forms/qctqMdxpLl
※定員(25名)に達し次第、締め切らせていただきます

【 登壇者 】
小倉涌(アーティスト)
速水螺旋人(漫画家)
稲葉振一郎(社会学者)
北田暁大(社会学者)

【 登壇者プロフィール 】
小倉涌(おぐらよう)
京都精華大学美術学部デザイン学科卒。2010年11月、初個展、敗戦後の占領をテーマにした『マッカーサーの子供たち』開催(東京)。2011年8月、個展『マッカーサーの子供たち』(大阪)。2011年11月、個展『マッカーサーの子供たち』(東京)。現在『二月革命』をテーマに個展に向けて制作中。社会の芸術フォーラム発起人。
http://www.yowogura.net/
速水 螺旋人(はやみ らせんじん)
漫画家・イラストーター/ソ連/ロシア、ミリタリー、電源不要ゲー、SFなどを題材に多くの作品を発表している。代表作に『靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争』、『大砲とスタンプ』(月刊モーニングtwo連載中)『速水螺旋人の馬車馬大作戦』など。
ttp://park5.wakwak.com/~rasen/
稲葉振一郎(いなば しんいちろう)
1963年生まれ。明治学院大学社会学部教授(社会倫理学)。著書に『ナウシカ解読―ユートピアの臨界』(窓社、1996年)、『オタクの遺伝子―長谷川裕一、SFまんがの世界』(太田出版、2005年)『資本論―取り引きする身体/取引される身体』(ちくま新書、2005年)『「公共性」論』、(NTT出版、2008年)などがある。

社会の芸術フォーラム展「躊躇」

よく知らないこと、わからないこと、思うようにいかないこと、あまり考えたくないこと、矛盾していること、自分の弱さや愚かさなどを、戸惑い、悩み、立ち止まり、揺れ動きながら、一緒にゆっくり考えます。

荒木悠|Yu Araki
飯山由貴|Yuki Iiyama
髙橋耕平|Kohei Takahashi
田中良佑|Ryosuke Tanaka
村田紗樹|Saki Murata

会期:2015年12月4日(金)~19日(土)
時間:平日 15:00~21:00 土日 10:00~21:00

会場:HIGURE 17-15 cas(〒116-0013東京都荒川区西日暮里3-17-15)
<アクセス>
JR山手線/京成線/日暮里・舎人ライナー「日暮里」駅 北改札西口から徒歩6分
JR山手線/東京メトロ千代田線/日暮里・舎人ライナー「西日暮里」駅 西口から徒歩8分
東京メトロ千代田線「千駄木」駅 2番出口から徒歩8分
<地図>
http://goo.gl/maps/Wyie

入場無料

<イベント>
オープニングパーティー:12月4日(金)18:00~21:00


荒木悠|Yu Araki
1985年山形県生まれ。2007年ワシントン大学美術学部彫刻専攻卒業。2010年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士課程修了。近年の主な仕事に「オマー・ファスト展」映像字幕翻訳(TARO NASU, 東京, 2015)、悪魔のしるし演劇公演「わが父、ジャコメッティ」映像製作(KAAT神奈川芸術劇場、京都芸術センター、スイス三都市巡回, 2014)、core of bells「第四回月例公演:デトロイトテクノ人形」ナレーション出演(SuperDeluxe, 東京, 2014)など。昨年は都内2カ所で個展「WRONG TRANSLATION」(The Container)と「MOTHERLANDS」(実家 JIKKA)をほぼ同時開催。通訳・翻訳といった言語的活動の一方で、物事の伝播に伴う誤訳・誤解釈に着目した制作を展開している。ATC所属。
http://www.yuaraki.com/


《カントリー・ミュージック》参考写真、2015年

飯山由貴|Yuki Iiyama
1988年神奈川県生まれ。2013年東京藝術大学大学院美術研究科油画科修了。主な展覧会に「Temporary home, Final home」(APMoA Project ARCH vol.16,愛知県美術館, 愛知)、「あなたの本当の家を探しにいく/ムーミン一家になって海の観音さまに会いにいく」(waitingroom, 東京, 2014)、「湯気 けむり 恩賜」(実家 JIKKA, 東京, 2013)など。ネットで購入したスクラップブックなど、どこかの誰かが作った個人的な記録を起点に制作をしている。ここ2年は、家族の1人が持つ幻覚や幻聴を再現する試みや、精神病院での医療記録や、ケアについてリサーチをしている。
http://yukiiiyama.flavors.me/


《何が話されているのか、また何故その発話の形式と内容は、そうした形をとるのか》映像45分、2015年

髙橋耕平|Kohei Takahashi
1977年京都府生まれ。2002年京都精華大学大学院芸術研究科修了。主な展覧会に「ほんとの うえの ツクリゴト」(旧本多忠次邸, 愛知, 2015)、「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭 特別連携プログラム『still moving』」(元崇仁小学校, 京都, 2015)、「史と詩と私と」(京都芸術センター, 京都, 2014)、「HARADA-san」(Gallery PARC, 京都, 2013)など。主な上映・イベントに「なぜ「私」が撮るのか」(旧所沢市立第2給食センター, 埼玉, 2015)、「発話する主体と転移をめぐって」(blanClass, 神奈川, 2014)などがある。近年は物事の物質的・精神的継承と記憶・記録の重ね書きをめぐる行為、個人史と歴史の交差、個人と集団の力学に着目した活動を行う。
http://www.takahashi-kohei.jp/


《HARADA-sanへの身勝手な応答 - 音楽と編物と》HD VIDEO(16分34秒)、2015年

田中良佑|Ryosuke Tanaka
1990年香川県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科在籍。主な展覧会に「STRONG SMART 賢明と傷心」(3331 Arts Chiyoda, 東京, 2015)、大館•北秋田芸術祭2014「里に犬、山に熊」(大館商店街, 秋田, 2014)、「泪の上で」(泪橋交差点, 東京, 2014)など。社会の中の“それぞれの私”という考え方で、人を受動的にまとめてしまう社会や歴史のシステムについて、映像、パフォーマンス、プロジェクトなど様々な方法で取り組む。“それぞれの私”が本来抱える言葉にならない思いや可能性を形にして、能動的に生きる方法を探っている。
http://lalalalarush.wix.com/ryosuke-tanaka


《Over the Ocean》写真、映像、2015年

村田紗樹|Saki Murata
1989年神奈川県生まれ。2013年東京造形大学絵画専攻領域卒業。主な展覧会やイベントに「二階からツバキ」(Antenna Media, 京都, 2015)、「あと3秒の我慢だった」(blanClass, 神奈川, 2015)、「whisper - amplifier」(各地, 2014~)、「It is no use crying over split milk.」(nam gallery, 東京, 2014)、「I / / / / my ( ) 遠いところにむすんでみる、近いところをほどいてみる」(東麻布Vague - ambiguous gallery, 東京, 2013)など。また、演劇ユニット「始末をかく」プロジェクトの参加メンバー。様々な場で立ち現れる境界に躙り寄って 出会いかたの幅をはかること に着目し、インスタレーション・音声・身体・映像などを用いて制作を行う。


《whisper-amplifier case1》Antenna Mediaでの展示風景、2015年


主催:社会の芸術フォーラム
企画:井上文雄
協力:HIGURE 17-15 cas路地と人ARTISTS’ GUILDCAMP

<お問い合わせ>
社会の芸術フォーラム
society.art.forum@gmail.com(担当:井上)

<会場のハンドアウト>


【 A 】村田紗樹 《まえがきとプロローグ、そしてしおり》
2015年 インスタレーション
映像、モニター、木材等
---
朝、毎日都心に数えきれないほどの会社員を運ぶラッシュアワーの電車。溢れかえる人の隙間で、どんな姿勢をとるべきなのか。

【 B 】村田紗樹 《タイムカード》
2015年 インスタレーション(芳名帳)
タイムレコーダー、タイムカード、ホルダー
---
①これは、この展覧会の芳名帳です。 ②ギャラリーに入ったら、タイムカードの緑の面に名前を書き、「入」にオレンジのランプを合わせて、タイムレコーダーに挿入して印字してください。 ③ギャラリーから出る時、今度は「退」にランプを合わせて、印字してください。 ④ご自身の名前の頭文字をホルダーの五十音から探して、そちらに入れてください。 ⑤会期中、二度目以降に来場した場合は以前ご自身が記入したタイムカードに、同じ手順で再び印字してください。

【 C 】飯山由貴 《あなたの本当の家を探しにいく》
2013年 映像(34分)
---
2013年の秋冬くらいに、わたしの妹が「本当の家を探しにいく」といって、外に飛び出していこうとしました。いつもだったら外は危ないよ、外聞が悪いよ、と、母と2人でひきとめるのですが、その時は、このまま探しにいってみてもいいんじゃないのかな、と思ったのです。なので別の日に、実際に「本当の家」を探しにいってみました。その時の映像です。妹とわたしはそれぞれ頭に小さいカメラをつけて歩き、編集で、ふたつの風景を重ね合わせています。
※詳細(PDF

【 D 】飯山由貴 《何が話されているのか、また何故その発話の形式と内容は、そうした形をとるのか》
2015年 映像(45分)
---
「稲生平太郎物語」(稲生物怪録とも呼ばれる)は、江戸時代中期に備後三次藩藩士の稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験したという、妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語です。王子脳病院の資料を見せていただく中で、ある医師が幻聴や幻覚のひとつの例として、その物語を研究していたことを知りました。また、王子脳病院の症例誌(診療録)のなかには、患者が書いた手紙やメモなどが残されています。それらの、患者の手によって書かれたもののひとつが「痴人の夢物語」です。作者は東京でタクシー運転手をしていた「北の」という人です。別々の時代の、別々の2人が体験したことを、現実にわたしや家族、友人がなぞっています。

【 E 】飯山由貴 《hidden names》
2014年制作、2015年再編集 映像(46分)
---
昭和期まで東京にあった王子脳病院の症例誌(診療録)を重要な資料として、歴史研究を行う研究者へのインタビューです。精神医療に関連する場所(かつての病棟や、民間治療の場)の風景や、患者の生活や文化に関連する資料のイメージを引用しています。

【 F 】飯山由貴 《診療録と看護記録と未来のピクニックについて》
2015年 テキスト
---
《hidden names》を制作する過程で、診療録と看護記録について知ったことや、作品を通して知己を得た看護師と話を重ねる中で、現在の医療記録を読んでみたいと思いました。妹に相談したところ、彼女も読んでみたい過去の入院の資料がある、と許可してくれたため、その二つの書類の申請を行いました。そうした記録の別のあり方について検討する試みです。

【 G 】髙橋耕平 《HARADA-sanへの身勝手な応答-伝言と》
2015年 壁にスクリーンプリント、他
---
はらださんが作者に宛てた伝言メモと、それに対し勝手な応答を記した作品。伝言メモははらださんが生活保護を受けながら生活支援施設に入所していた時期、作品《HARADA-san》の撮影を始めて直ぐの時期に受け取ったものである。また応答のテキストはそれから2年後の2015年に書かれたものである。

【 H 】髙橋耕平 《HARADA-sanへの身勝手な応答-音楽と編物と》
2015年 HD VIDEO(16分34秒)
---
はらださんが携帯電話で作曲した音色と、はらださんが日常的に行う編物の手つきに対し、作者が身体で応答を表した作品。映像はカメラを互いに持ち合い記録。

【 I 】髙橋耕平 《HARADA-sanの脚と道案内》
2015年 壁にスクリーンプリント、他
---
はらだの脚をモチーフにしたシルクスクリーンと、《HARADA-san》を上映する場所への道案内。モチーフの脚は、作者がはらださんにお金を貸す際、撮影中のビデオカメラを地面に置き、そこに映った姿。

【 J 】髙橋耕平 《HARADA-san》
2013年~ HD VIDEO(58分52秒)、テキスト、パネル、他
---
京都に住む初老のアートウォッチャー:はらださんを題材にしたドキュメンタリー映像と、はらださんの個人年表からなる作品。

※はらださん:京都在住のアートウォッチャー。編物を得意とし、若いアーティストや芸大・美大生に手編みの帽子をプレゼントすることが屡々ある。長年ビルの管理人をしていたが定年に伴いホームレスになる。現在は年金と生活保護の収入により安定した居住場所を得て生活。67歳

【 K 】田中良佑 《Over the Ocean》
2015年 映像(1時間30分)、写真、那覇で買った土産袋
---
 この映像作品は、僕が今年の10月から11月にかけて沖縄の「コザ」という町に滞在しながら制作したものです。「コザ」は、「極東最大の空軍基地」という嘉手納空軍基地の目の前に広がっています。僕は、コザのメインストリートであり、嘉手納空軍基地第二ゲートに直結している大通り「ゲート通り」に49年間店を構えているタコス屋「OCEAN」を訪れ、入り浸り、その店長 屋良 靖さんと、お店に訪れる様々な立場のお客さんに話を聴く映像作品を制作しました。
 “コザ” その名前は一度聞いた時から、僕の耳に強く遺り、離れませんでした。その不思議な響きは、今から70年前、1945年にアメリカ軍が沖縄本島に上陸した時から生まれたそうです。上陸したアメリカ軍は、本来「越来村(ごえくそん)」という名だったその場所に、軍事施設や難民収容所を建て、その一帯を「KOZA」と名付けました。その由来は、隣接する「古謝(こじゃ)」「胡屋(ごや)」という地域の名前が混ざったもの等と言われていますが、はっきりとはわかっていません。現在「コザ」は、1974年に隣接する美里と合併し「沖縄市」となり、正式な地名として存在していませんが、今でもその場所は、かつての米軍統治時代の色を遺す混沌としたイメージとして、沖縄の多くの人に「コザ」と呼ばれているようで、2015年に何の知識も無く立ち寄った僕もいとも簡単にすぐここがコザであることをわかりました。
 今年の8月、僕は映画撮影の手伝いに誘われ、高校3年生の修学旅行ぶりに沖縄を訪れました。高校3年生の時には見えなかったり感じなかった想像を遥かに超えた沖縄の美しさと哀しみに激しく混乱し、言葉も出ず立ち尽くしました。その時に僕は、もっとこの場所に長く滞在して「沖縄」のことを少しでも知りたい、なにかをわかりたい分かち合いたいと強く思いました。なかでも「コザ」に滞在したのは、その地域だけポッカリと虚空に浮かんでいるような、捉えがたく頭が全く追いつかない衝撃を、最も受けた場所だからでした。その”わからない”場所に住む事が、僕にとって「沖縄」を少しでも知るきっかけになるかもしれないと信じ込み、僕はその場所に滞在することを決めました。
 「OCEAN」。初めてその水色の看板を見た時から、僕は何故か無性に気になって気になってしょうがなかったお店。この滞在で、「OCEAN」の人々に話を聴いた理由は、うまく言えない。嘉手納空軍基地の目の前、米軍統治時代からのお店という前に、僕は「OCEAN」から滲み出る、人を突き放しながらも優しく受け入れるような空気のようなものを感じて、本能的に、この場所の人に話を聴きたい、と思いました。それは、理解りえないものへの断絶感と、身勝手な憧れと、わかちあえる部分が必ずあるかもしれないという希望のような感情を同時に、「OCEAN」の佇まいに感じたからかもしれません。その場所で僕は、同じ時代を生きるものとして、違う場所で生まれ育った者として、わかりあえないものとして、わかりあえるかもしれないものとして、とにかく、今まで聞いた事のない話を、聴き続けました。
※この映像の中で話されている内容は全て一個人の話であり、総意や事実というものでは決してありません。

【 L 】田中良佑 《明日のすべて》
2015年 写真、冊子
---
 この作品はフリーですので、お一人さま一冊づつご自由にお持ち帰りください。沖縄に訪れる際、どうしても、自分の中の「観光者」としての視線を止められなかった。または、「記号」を探してしまうような「観察者」としての視線を、僕は止められなかった。しかし、そんな内なる視線が、凄く嫌だった。もっと普通に接したかった。でも、止められないし、沖縄の人にとって僕は『内地の人』『本土の人』だし、実際そう呼ぶから、なおさら止まらない。
 それでも僕は、その観光者であり、内地の者、であることを、悲しいけど一度認めないと、関係ができない気がした。だから、修学旅行で沖縄に行った時を思い出して、滞在中「使い捨てカメラ」で沖縄を撮った。その不安定でくすんだ、内なる視線は、絶えず僕を反省させながら、それでもフィルムを回した。

【 M 】荒木悠 《カントリー・ミュージック(ノーバディ・ノーズ・ザ・ワーズ ノーバディ・キャン・シング・イット ノーバディ・アンダースタンズ・イット)》
1869年/2015年 音(1分21秒)、屋外スピーカー、アンプ、iPod
---
屋上のスピーカーから英国人J・W・フェントン作曲の初代『君が代』をカントリーミュージックに再制作した音がある時間に流れる。
演奏・録音:Dan Schafer 協力:石川 恵