ここ数年来、日本国内でヘイトスピーチが顕在化し、とうの昔に学術的には埋葬されたはずの「単一民族神話」がマスメディアにおいても垂れ流されています。日本国内の現状では、多文化主義、また多文化主義からの議論の発展も黙殺される危機にあるといってよいでしょう。そもそも日本では、多文化主義という状態は果たしてあったのでしょうか。 自らのアイデンティティを問わずにいることができるひとたちの表現が、私たちの日常を覆い隠しているかのようです。そのようななかで、アーティスト等、文化の担い手はどのような実践を重ねているのでしょうか。
また、日本よりはるかに深度をもって現実の制度を組み立てていると思われるヨーロッパにおいても、同様の問題が噴出しています。政治権力に対する風刺という表現の自由を伝統としてきた「共和国」において民族的・宗教的マイノリティたちは、その共和国の伝統と信仰の間でたえず日常を問い返すことを余儀なくされています。記憶に新しい「シャルリ・エブド事件」はそうした「文化戦争」が顕在化する契機となったといえるでしょう。
一方、現代美術においては、「大地の魔術師展」(1989年)以降、非西洋文化に対する関心が、ポストコロニアルな思想やグローバリゼーションとも関係しながら、欧米以外の美術家に対する注目を促してきましたが、その文化理解には問題も指摘されています。
「第二回社会の芸術フォーラム」は以上のような社会学、憲法学や美術史からの多角的な視点を踏まえた議論を行います。アーティスト、キュレーター、評論家、研究者など、様々な立場で芸術に関わる者は、自らの文化的立ち位置を自認しないことには、世界の中でその表現を問うことが成立しないと思われます。多文化主義について考えることは、日本において芸術に関わろうとする者全てに自分の文化的立ち位置を確認することの契機になると考えます。
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第二回フォーラム
問題としての多文化主義:表現・アイデンティティ・(不)寛容
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日時:2015年8月29日(土)14:30〜18:00
場所:東京大学本郷キャンパス構内(参加申込をいただいた方にはメールにて詳細をお伝えします)
定員:200人
<参加申込>
http://goo.gl/forms/ru5yXkw6Ak
※参加申込は前日までにお願いします(定員になり次第、受付を終了します)
【 登壇者 】
志田陽子(憲法学・武蔵野美術大学)
韓東賢(社会学・日本映画大学)
加治屋健司(美術史、表象文化論・京都市立芸術大学)
リュウ・ルーシャン(アーティスト)
山本高之(アーティスト)
【 司会・進行 】
竹田恵子(文化研究・東京大学)
神野真吾(芸術学・千葉大学)
北田暁大(社会学・東京大学)