検閲を禁じ表現の自由を保障するという日本国憲法の意義が揺らぎつつある。今回は、表現の自由、表現者と文化組織の自律性がより危ういものとなりつつある今日の文化生産の状況を、社会学、憲法学的な視点も含めて考察する。
これに直接的に関わる近年の事例としては、「これからの写真」展(愛知県美術館, 2014年)での鷹野隆大の作品に対する愛知県警察からの撤去指導、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」(東京都現代美術館, 2015年)での会田家《檄》に対する美術館側からの撤去要請、「ふぞろいなハーモニー」(広島市現代美術館, 2016年)でのリュー・ディン《2013年のカール・マルクス》に対する中国当局による輸出不許可と美術館側の対応などがある。
また、アーティストからは「ある国でのビエンナーレへの出品をキュレーターから打診された際に、主催者の国際交流基金よりNGが出た」「『安倍政権になってから、海外での事業へのチェックが厳しくなっている。書類としての通達はないが、最近は放射能、福島、慰安婦、朝鮮などのNGワードがあり、それに背くと首相に近い部署の人間から直接クレームがくる』とのこと。NGワードをぼかすような編集も提案されたが、結局は他の作品を出品することで合意」(Chim↑Pom)、「国際交流基金では、歴史、特に加害の歴史を扱えない。それを含めるとやんわり断られるが、はっきりした理由は明示されない」(小泉明郎)などの声が上がっている。
このような状況の中、東京都現代美術館は今年「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展を開催し、これに関連してARTISTS' GUILDと芸術公社が『あなたは自主規制の名のもとに検閲を内面化しますか』を出版した。また、美術評論家連盟の有志がシンポジウム「美術と表現の自由」を開催するなど、「規制」や「検閲」についての様々な議論が行なわれている。
今回のフォーラムでは、表現の自由の意義を今一度根本から問いつつ、表現の自由は歴史的にどのように獲得または規制されてきたのか、何が検閲や事前抑制にあたり、その力を働かせる主体は誰/何か、事後処罰が表現の自由にどのような影響を与えるのか、また、公的機関や公的助成事業において、表現の自由は保障されうるのかといった問題を共有し、これからの文化生産の可能性を探る。
===
第七回フォーラム「検閲」
===
日時:2016年9月25日(日)13:00〜17:00 ※開場は12:30
場所:東京大学本郷キャンパス構内(参加申込をいただいた方にはメールにて詳細をお伝えします)
定員:115人
<参加申込>
http://goo.gl/84MXpM
※参加申込は前日までにお願いします(定員になり次第、受付を終了します)
【 登壇者 】
岡﨑乾二郎(造形作家、批評家)
佐藤卓己(社会学、歴史学)
志田陽子(憲法学)
藤井光(アーティスト)
【 司会・進行 】
井上文雄(CAMP、社会の芸術フォーラム)
神野真吾(芸術学、社会の芸術フォーラム)